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第3話前編「夕暮れ時に影重なる」03

◇   ◇


ジャージに着替えて、ここね主導で軽音楽部の筋トレはストレッチから始まった。マットを敷いてその上に座る。両足を開いて股関節を伸ばす。体が硬くなっていると、少し辛い。


「うぅ……」


誰かの口から小さなうめき声が漏れる。


「姿勢が悪かったりすると、いい声って出ない……みたいだから。サボっちゃ……ダメ」


ここねに倣うように、再びつきねは上半身をゆっくり倒していく。息もゆっくり吐き出す。


「ふぅー……」


すると、隣のまねが限界とばかり上体を起こす。


「ストレッチだけで結構苦し……ん、だけど」


「まねはちょっと身体硬すぎ。じゃあ、次のメニューね〜」


「少し休ませてよー……」


その後、腕立て伏せの姿勢をしばらくキープしたり、下半身を鍛えるためにスクワットを数セット。


三人とも額にじんわり汗をかいている。


「はあ……疲れたー。はぁ……はぁ」


自分の浅く荒い呼吸音がやけにうるさかった。しかし息が上がっているのは、つきねやまねだけでなく、ここねもだった。


見ると、姉は肩で息をしていた。胸のあたりを軽く手で押さえているようだった。少し俯き加減で表情は分からなかったけれど、すぐに顔を上げてここねは頬をかいた。


「いやぁ、ここんとこサボってたからねぇ」


「おねーちゃんも頑張らないとだね、筋トレ」


「この機会にもっと良い声が出せるように鍛えちゃいますかね。目指せ、シックスパック!」


ここねは冗談交じりに応えると、妹は苦笑する。


ただ体力づくりのためにどれだけ運動をしようとも、改善されないだろうと、ここねは内心確信めいたものを感じていた。


この息苦しさが単に運動不足からくるものではないと思っていたからだ。


今は「呪い」が自分の中にある。いつ頃まで普通に生活できるかという懸念は常に付きまとう。


一か月後かもしれないし、明日かもしれない。


ここねは消えぬ不安を抱えてはいたが、軽音部の活動は順調に再スタートが切れた。


歌や発声練習はもちろんのこと、どの曲を動画にするか三人でお菓子をつまみながら考えたりと——思い描いていた高校生活そのもののように感じられた。


程なくして迎えたゴールデンウィークは週間予報では、雲マークひとつない快晴で行楽日和だった。


つきねの目論見では四月末は部屋でゲーム三昧だ。


発売したばかりの大好きなRPGのシリーズ最新作をクリアーとは言わないまでも、たくさん進める気でいた。


しかし、すぐにここねが遊びに来て、二人でゲームのストーリーについてあーだこーだ話しながらプレイした。ひと段落したところで、複数人同時に遊べるパーティゲームで白熱し、数時間はあっという間だ。


飲み物を取りに行った隙に、ここねに入れ替えられたホラーゲームをほんの数分だけやってしまった。


その結果、思わず上げてしまった悲鳴で母に怒られてしまったが、元気になった証拠ということで許してもらった。ただ少し納得がいかない。


(画面が血で染まった手の跡で埋まったり、いきなり眼球のない人の顔がアップになったり……あんなの誰でも声上げるよ……!)


つきねはベッドに腰掛けるここねをジト目で見つめた。


「おねーちゃんのせいだからね……」


「悲鳴を上げる妹が可愛くて……それが見たかった……出来心だったんです!!」


謝罪じゃない謝罪を口にするここねは、半笑いだ。


つきねも怒ってないけれど、ちょっとひどいと思う。


つきねはテーブルに置いてあるホラーゲームのパッケージを指さす。


「そのゲームわざわざ買ったの?」


「んにゃ、クラスの友達に借りた。なんか人気らしいよ? 実況……向き?とかで」


「明日一緒に遊びに行くっていう人?」


「そうそう」


たしかケーキバイキングに行くとゴールデンウィーンの予定を相談している時にここねから聞いた。


「食べ過ぎちゃダメだよ?」


「分かってる。でも食べ過ぎることこそ、バイキングの醍醐味なんだ!準備も万端だしね」


お腹をさすって見せるここね。


「……だから、今日夕ご飯あまり食べてなかったの?」


つきねは少しばかり呆れてしまう。


「これ以上起きてると、お腹が減っちゃうからもう寝るっ!つきねもあまり夜更かししないで寝るんだぞー」


「うん。お休み、おねーちゃん」


ここねを見送ると、つきねはゲーム機を再び手に取った。夜はこれからだ。


◇   ◇


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◇   ◇ 力が抜けたここねの身体をつきねは抱き留める。 「痛かったよね……」 そのままつきねは一度だけここねを強く抱きしめた。 しかし、のんびりしている時間はない。 つきねはここねの左胸を注視していると、黒い何かがそこにあるのだと直感した。 ここねの日記に書いてあったように、つきねは腕をここねの中で渦巻く黒い靄に向かって伸ばしていく。 「! ……来たっ」 鍵がどこからともなく掌中に現れたこと。

◇   ◇ ここねが次に目を覚ますと、そこは無音の世界だった。 美癸恋(みきこい)町の中心街——その抜け殻のような場所に飛ばされるのも、中学生の時から数えてこれで四度目だ。 道端には駐車されたままの自動車が数台。 新商品やセール中を知らせる幟も見える。 しかし、ここには街しかない。人がいない。 ふと紅い月の禍々しい光が照らし作り出した影が一つ揺れる。 アーティストのステージ衣装さながらのいで立ちを

◇   ◇ 春頃に比べて日が伸びたといっても、つきねが帰り着く頃にはすっかり暗くなっていた。 ドライヤーで乾かし終わると、つきねは髪をブラシで数回撫でる。 「ふぅ……これでいいかな?」 入浴後で、つきねは身も心もサッパリした気分だ。 やることも決まり、迷うのをやめた。 迷っていては大好きなものが消えてしまうかもしれないから。 数え切れないほどこの土地に生まれ暮らしてきた姉妹たちを、死に追いやった『

ココツキオリジナル小説

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