◇ ◇
自室のベッドの上でここねが目を覚ますと、時刻は夕方の六時を過ぎたあたりだった。
カーテンの隙間から見える窓の外はまだ明るく、梅雨明け宣言されていないものの、夏がすぐそこまで来ているのだとここねは改めて思った。
呪いによって変調をきたしてからは、エアコンをつけ室内を過ごしやすい状態に保っている。
そのせいもあって、近頃は季節を感じるという機会が少なめだ。
過度の乾燥から喉を守るためマスクをつけて寝ているというのもある。
多少煩わしいけれど、呪いが消えたらまた歌えるように日々のケアも疎かにはしたくない。
「つきねとの約束のためだもんね」
言葉にすると、頑張ろうという気力が沸いてくる。
ここねの内にある呪いの存在感が徐々に増しているにもかかわらず、前向きな気持ちを維持できていられるのは、間違いなく家族のおかげだ。
少し前から母はたびたび仕事を休むようになった。
ここねの看病のためだ。頻繁に部屋に様子を見に来てくれる。
母は手をここねの額にあて、熱を確認すると優しく頭を撫でてくれた。
それだけで、身体にまとわりつく重さが軽くなるように感じた。
懐かしさとともに柔らかい記憶がよみがえってくる。
幼い頃、母はよく撫でてくれた。
楽しく歌を歌った時。
母がやっている家事を手伝った時。
つきねと二人でしっかりお留守番できた時
——すべてを思い出せないくらい何度も何度も。
しかし、もうここねは小さな子供ではない。
心配させるばかりでは嫌なのだ。
もう仕事に行っても大丈夫だと伝えた時は驚いていたが、母は分かってくれたようで今日は仕事に出ている。
つきねと再びあの紅い月の夜を越えてから、ここねは自分の内にある呪いを消すことを目指している。
ただ、分かってはいたが暗中模索というべき状況だ。
「ん。水飲もうっと」
寝起き間もないせいか喉の渇きを覚えたここねは一階のリビングに向かった。
リビングに行くと、キッチンで鍋に火をかけている人の姿が目に入る。母ではなく制服の上にエプロンをつけたつきねだった。
「あれ、お母さんはまだなの?」
「少し遅くなるって。だからつきねが準備してる」
カレーの香ばしい匂いがここねの鼻をくすぐり、食欲が刺激される。
「お母さんが昨日作っておいてくれたカレーを温めてるだけですねー」
それを聞いて、つきねは不満げに口を小さく尖らせる。
ここねは妹の隣に立ち、鍋を覗き込むと肉団子のようなものが見える。
今日の夕飯は鈴代姉妹の好物コンビネーション——つくねカレー。母の絶品料理の一つだ。
「……温めるのは準備だもん。おねーちゃんはつくね少なめの刑ね」
「ご無体な……お代官様。つくねをどうかどうか」
「うむ……では、手を洗い席につくがよい」
つきねも同じノリで返してくる。
「あ。私、喉渇いて降りてきたんだった」
冷蔵庫から麦茶を取り出すと、ここねはつきねの分もコップに注ぐ。
喉を潤しながら、ここねは食卓にカレーライスが登場するのを待った。
「少しおかわりしようかな」
食べ終わったここねは空になった皿を眺める。つくねとカレーの相性は抜群で、ついつい箸が進む。
呪いに蝕まれてどんなに苦しくても空腹は覚えるし、好物も存分に堪能できる。
「半分くらい?」
つきねがここねの皿を手に尋ねてくる。
「うん、お願い」
身体は必死に呪いに抵抗しようと食べ物と睡眠を要求しているのかもしれない。
「調子良さそう。熱は?」
眠る前は平熱より少し高い程度だった。
その時より怠さは弱くなっている。
そのことをつきねに伝える。
「もしかしたら、来週ちょっと学校行けるかもね」
「だったらいいな。いや、絶対行きたい……! うちの夏服可愛いし」
このまま家に引きこもっていても、進展が望めるとは思えなかった。
「いいよね。この夏服。——はい。ゆっくり食べてね」
スプーンでルーと白米をすくうと、ここねはそのまま口に運ぶ。
ここねは思わず頷いた。
やはり母の作ってくれたカレーライスはどんな時でも美味しいのだ。
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