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第1話後編「はじめの一歩。そして一足先に」09

◇   ◇


つきねはその手を見つめる。


手を取らずに断ることだって、つきねにはできた。そもそも生徒でもない人間がステージに立つこと自体、校則違反なのだから。つきねが「やっぱり無理だよ」と、そう言うこともできた。


けれど――


つきねは、躊躇いながらも、ここねの手を取った。


「本当に……おねーちゃんは強引だよ。うまくできなくても、知らないからね」


「大丈夫、絶対に成功するよ。私が保証する」


ここねの言葉を聞くと、つきねはステージに立つことへの恐怖感が、少しだけ和らいだ。


おねーちゃんの言葉には不思議な力があるよねと、つきねはそう思った。


「カラオケの時、何回もデュエットにしようって言ってきたからなんか変だなーって思ってた。つきねの練習だったんだね」


ここねは少しだけバツが悪そうに頷いた。


「ばっちり似合ってる! 可愛い可愛い、つきね最高!」


「ほ……本当?」


本来ならば数か月後――入試に合格した後に着る音咲高校の制服に、つきねは身を包んだ。まねの制服なので少しサイズが合っていないが、ここねの言葉に嘘はない。


現在、ここねとつきねは体育館の緞帳の内側で待機している。


時間が来たら音楽は伴奏代わりにCDがかかるように、まねに頼んである。


「歌うのは二曲だけだから。思いっきり楽しもう!」


「うん」


頷いたつきねの瞳に不安の色は薄いが、緊張しているのは隣にいるだけでここねにも伝わってくる。


開演時間が来て、ゆっくりと緞帳が上がった。


ステージの縁の向こうには、大勢の音咲高校の生徒がいる。数百人はいるだろう。生徒たちの多くは、ステージ上に立つここねとつきねに注目している。


つきねはこれほど多くの人から、注目されたことがない。


さっきまで少しだけ和らいでいた緊張と恐怖が、再びつきねを呑み込んでいく。


脚が震える。息がうまくできない。


(あれ……? つきねは……なんでここにいるんだっけ……?)


つきねの思考が混乱する。目の前にはスタンドマイク。


歌う? こんなに大勢の人の前で?


怖い。怖い。怖い。怖い。そんなことできるわけがない。


脚が震えて力が入らなくなって、つきねはその場に座り込もうとした。


◇   ◇


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◇   ◇ 力が抜けたここねの身体をつきねは抱き留める。 「痛かったよね……」 そのままつきねは一度だけここねを強く抱きしめた。 しかし、のんびりしている時間はない。 つきねはここねの左胸を注視していると、黒い何かがそこにあるのだと直感した。 ここねの日記に書いてあったように、つきねは腕をここねの中で渦巻く黒い靄に向かって伸ばしていく。 「! ……来たっ」 鍵がどこからともなく掌中に現れたこと。

◇   ◇ ここねが次に目を覚ますと、そこは無音の世界だった。 美癸恋(みきこい)町の中心街——その抜け殻のような場所に飛ばされるのも、中学生の時から数えてこれで四度目だ。 道端には駐車されたままの自動車が数台。 新商品やセール中を知らせる幟も見える。 しかし、ここには街しかない。人がいない。 ふと紅い月の禍々しい光が照らし作り出した影が一つ揺れる。 アーティストのステージ衣装さながらのいで立ちを

◇   ◇ 春頃に比べて日が伸びたといっても、つきねが帰り着く頃にはすっかり暗くなっていた。 ドライヤーで乾かし終わると、つきねは髪をブラシで数回撫でる。 「ふぅ……これでいいかな?」 入浴後で、つきねは身も心もサッパリした気分だ。 やることも決まり、迷うのをやめた。 迷っていては大好きなものが消えてしまうかもしれないから。 数え切れないほどこの土地に生まれ暮らしてきた姉妹たちを、死に追いやった『

ココツキオリジナル小説

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